ベサキー寺院 |
|
バリ島では、一番高い山はアグン山と言いまして、海抜は3142Mです。バリヒンドゥーでは、山を神聖なもの、神様の宿る所として、考えています。ですからバリ島でもっとも高いアグン山はもっとも天に近い”聖なる山”として崇められています。そのアグン山のすその海抜975Mの所に寺院があります
この寺院はバリヒンドゥーの総本山でバリ島で最大の寺院です。ところで、ベサキーという言葉はバスキーという言葉から出来ています。意味は安全、無事です。
|
|
9世紀頃にマルカンデアというお坊さんが東ジャワ島から100人の開拓者をつれてバリ島にやって来ました。目的は豊かな土地を探すためでした。マルカンデアはアグン山を目の前にした、その場所が気に入り、ここにまず寺院を建てることにしました。そして儀式をおこなうにあたって、金、銀、銅、鉄、宝石という五つの鉱物を土に埋めて、無事な開拓を祈ったと伝えられています。 |
|
8世紀と言えばヒンドゥー教がインドネシアに入る、かなり前のことですから、この寺院は仏教寺院として設立されています。そのため、この寺院にはヒンドゥー教にない建築様式が残っています。例えば、境内に入るまでの道が52段ものてらすになっていますが、それはヒンドゥーにはない様式です。
ヒンドゥー教徒がバリ島に入って来て、17世紀頃になりますと、ベサキー寺院のありかたが変わってきます。
|
|
王様の葬儀を行う寺院として、使うようになりました。その後、バリヒンドゥーの総本山として格式を徐々にそなえるようになったと言われます。ベサキー寺院は三つの部分から出来ています、その中央の大きいな寺院に三つの神様が祭られています。真ん中にあるのがSHIWAという風の神で、左がWISNUという水の神、そして右がBRAHMAという火の神です。SHIWA,WISNU,BRAHMAの三つの神様は、バリヒンドゥーにとって、もっとも重要な神です |
|
道の左右にある石造は1953年にギアニャル地区で住んでいる彫刻家によって作られましたから、これはヒンドゥースタイルです。具体的に申し上げますと、右側の石造はマハブラタ物語から取って来たと言います。どちらもインドから入って来たヒンドゥーの物語です。 |
|
総本山を中心にして、その周辺に300くらいの建物と20くらいのお寺があります。こちらは、バリ島のそれぞれの地域の村や町が祖先してに建てられたもので、現在も増え続けています。ベサキー寺院は10年に一度と100年に一度、大きいなお祭りがあります。10年に一度のお祭りをPANCA WALI KRAMAと言い、100年に一度のお祭りをEKA DASA RUDRA と言います。実は100年に一度のお祭りが1963年にありました。ところが、その年アグン山が大噴火しまして、たくさんの犠牲者が出ました。 |
|
|
|
幸いなことに噴火の被害がベサキー寺院に及ぶことはありませんでした。しかし、その年のお祭りは中止され、16年後、1979年に改めておこなわれました。駐車場からベサキー寺院までおよそ300Mあります、その上、道が少し坂になっています。 |
|
|
|
|
|
|